第5話
ダブルディーは眠っていた。
しつこくドアをノックする音に一瞬眉を寄せたが、気づかなかったことにしてそのまま惰眠をむさぼることにした。
窓の外では花火か何かが上がっているようで、かすかに光の明滅と、ドーンドーンという大きな爆発音がする。
沈む意識が向かうのは、また、あそこだ。
*****************************************************************************************************************************************
ドーン、ドゴーンと、大砲の音が響く。
ダブルディーは崩れ落ちた建物の片隅に身をひそめていた。
「奴ら俺たちがしぶといもんだから、痺れを切らしてとうとう大砲まで持ってきやがった!」
その横で肩で息をしながら、子供の頃からの親友が舌打ちをしながら言った。
軍事国家パールファイディと、医術と法術を誇る隣国レナーリアは臨戦状態にあった。
その二国の国境近くにあった小さな村は、ダブルディーが体が弱かった幼少期に静養の為空気の良い田舎にと預けられていた、
彼の第二の故郷であった。
成人前に法医は医術と法術の勉強と修行の為一度首都に戻っていたが、故郷の危機を知るや否や親の制止も振り切り首都を
飛び出し、この地に戻ってきていた。
この時すでにダブルディーは医術も法術も修め、父親の跡を継ぎ、王室付きの法医として誰もが羨むような地位も名誉も実力も全てを
手に入れていた。
田舎の小さな村が軍事国家の国王軍相手に一月も戦い続けられているのは、ひとえにダブルディーの力によるものであった。
倒れても倒れても彼が奇跡の力でみるみるうちに全快させてしまうのだから、敵にしてみればいったいこの小さな村に何人の兵が
いるのかと恐れられたものであった。
それでも大砲の力は凄まじかった。
家屋は倒壊し、あちこちで火の手が上がっていた。
さすがのダブルディーも患者が目の前にいないと治療の施しようがない。
味方を見つける度に治療を施し村中を駆けずり回っていたが、命は零れ落ちる一方であった。
「このままじゃやばいな。俺はあっちを見てくるから、お前は向こうを頼む!」
「わかった。」
親友の言葉にうなずき立ち上がろうとすると、ぐいっと編んで後ろに流した髪を引かれて留まらされた。
「ちょい待ち!」
「なんだよ?」
ダブルディーが首をさすりながら恨みがましく言うと、親友はにっと笑って懐からカードを取り出した。
それにはレナーリアの春を告げる女神を模した、彼らの幼馴染の女性が描かれている。
「これ、お前預かっといてくれよ。」
「ハウリー、これ・・・!」
「俺が持ってたらすぐなくしちまいそうだからさ。これが終わったら、返してくれよな!」
そう言って駆け出した親友の背を、何度思い出したことか。
ダメだ、ハウリー、そっちは・・・!
*****************************************************************************************************************************************
コンコンコンコン、とノックは続く。
いくら叩いても返事のないドアは、ガチャリと音がして無遠慮に開かれた。
「ドクター、陛下がお呼びです!いらっしゃいませんか!ドクター!」
大声を張り上げながら、招かれざる客はついに寝室に入ってきた。
「ドクター、まぁ、いらっしゃるじゃありませんか。返事くらいなさってください。」
そう言って、いささか年かさのいった女は恥じる様子もなくがばっと布団をはぎ取った。
女は半裸で寝ていた若い男を見ても動じることなく、まるで介護のように腰と首の下に腕を差し入れて無理やり起き上がらせた。
「目は覚めましたか、ドクター?」
女の言葉に、夢見も目覚めも最悪で、ダブルディーは不機嫌な様を隠そうとはしなかった。
「・・・男の寝こみを襲うとは、なかなかいい趣味をお持ちですね。」
「私の趣味ではございません。陛下のお召しです。さ、お支度なさってください。」
「・・・わかりました。では着替えてからそちらに向かうと陛下にお伝えください。」
「いいえ、ではお手伝いします。」
そう言うと、女はダブルディーの服に手をかけようとした。
「!」
これにはさすがの法医も目が覚めた。
「結構!私はこの国の貴族のように他人に着替えを手伝ってもらうようには躾けられていないのです!」
そう言ってズボンに伸ばされた女の手を払った。
女はしぶしぶ引き下がったが、部屋を出ていく様子はない。
どうあってもダブルディーを国王の前へ自身が連れて行くつもりのようだ。
いつだったか、以前彼を呼びに来た若い兵士をその後この城で見た者はいないらしい。
その点について、この女は愚かではないようだ。
「女性に着替えを見られる趣味はないのですが。」
ダブルディーはため息をつき、女の急かす様な視線に見守られながら手早く着替えを済ませ、寝乱れた長い髪を編みなおして後ろに流した。
女に連れられ、ダブルディーはその部屋の前までやってきた。
薄手の白い綿の手袋を両手にはめ、白衣の襟を両手でパン、と引っ張って小気味よい音をさせた後、コンコンと豪奢な扉を軽く叩き、
呼びかける。
「陛下、ディナリーテガルトにございます。」
「うむ、入れ。」
「失礼いたします。」
彼の後ろから私が連れてきました、とばかりに女が入室しようとしたが、部屋の主に顎で下がるように指示され、一礼し一言も発する
ことなく去って行った。
女は王の前で正解を選び取ったようだ。
「お呼びでしょうか。」
去っていく女を一瞥し、ダブルディーは王の要件をうかがう。
「うむ。もっとこちらへ寄れ。」
王は上機嫌なようで、笑顔を浮かべて手招きをした。
ダブルディーは無言で王の机の前へと進んだ。
「ダブルディー、お前の働きをわしは高く評価している。」
「恐れ入ります。」
ダブルディーが頭を下げると、王はぐい、と顎を持ち上げその顔を覗き込んだ。
「それにこの女のように美しい顔立ちが、貴族の子女たちをざわめかせているそうじゃないか。」
「お戯れを。私が高貴な方々と顔を合わすことなどございません。」
ダブルディーはゆったりとした所作で王の指を顎から外すと、曲げていた背筋を伸ばして一歩引いた。
「治療中に垣間見える造作の良い顔と、何より幻想的に光るその赤い瞳は見る者を魅了する、とはよく言ったものだ。」
「なんですかそれは。」
ダブルディーは王が自分に触れようとしているのかと一瞬邪推したが、話は見当違いな方へ進んでいった。
「若い娘たちの間でまことしやかにささやかれている噂だそうだ。わしだけが知っている秘密だと思っていたのに、女達の嗅覚は大した
ものだな。」
「見えないから想像が膨らむだけですよ。実際はどうというものではありません。私も出不精ですから。噂が独り歩きしているようですね。」
「噂というものは必ず種があるものだ。その種の一つをお前にやろう。」
「は?」
「ルージェイ伯爵はわかるか?」
「はぁ。一度陛下の命でご息女の診察に伺ったことがございます。」
まさか、酒場で聞いたあの噂は。
「今宵宴を開く。伯爵の次女のミリアとか言ったか、奴とその娘が来る。」
「陛下、私は宴など華々しい場所は苦手でございまして、これまでも辞退させて・・・」
「お前の為の宴だ、必ず出席しろ。娘に一言二言声をかけるまで退出する事はならん。」
ダブルディーは王のもくろみを察し、やんわりと拒否しようとしたがぴしゃりと言い放たれた。
「城の近くに屋敷を建てさせよう。伯爵の娘を娶れ。お前自身にも爵位を授ける。末永くわしを支えるのだ。よいな。」
「陛下・・・」
「二度は言わぬ。まずは娘と会うのだ。」
こうはっきり言われては、もはや逃げ道はない。
「そうそう、宴の席にはその前髪は上げてくるのだぞ。せっかくの機会だ、たまにはお前も着飾れ。」
にやにやと楽しげな笑みを浮かべる王に、ダブルディーは仕方なく頭を垂れて退出した。
その宴は、国王の何人もいる子息子女のうちの誰かの誕生パーティーという名目で行われていた。
国中の地位の高い者達が集まり、中でも若者たちは特に着飾り、妍を競っている。
ダブルディーは王に用意された燕尾服に身を包み、指示された通り長い前髪を上げ、後ろ髪は編まずにゆったりと纏めて背中に流していた。
いつもは目元を隠していた前髪がなく心もとなくなり、おかげで女達の無遠慮な視線に居心地の悪い思いをすることになった。
しばらく壁の華を決め込んでいたが、玉座から何度目かの視線を受け、ダブルディーはため息をついて給仕からグラスを受け取り目標物に向かった。
その娘の外見的特徴は知らされていた。
明るい栗色の髪にグリーンの瞳、細身で背はそんなに高くない華奢な女性らしい。
淡い水色のドレスに同じ色の髪飾りをしてくると言われていた。
先ほどからこちらをちらちらと何度も見つめてくる若い女性たちの集団の中にそれらしい娘がいる。
「失礼、少しお話をしても?」
ダブルディーが娘に話しかけると、当の本人は真っ赤になって小さくうなずき、周りの娘たちはきゃあと黄色い悲鳴を上げていた。
まるで見世物のようだ、と彼は自身を滑稽に思った。
ダブルディーと伯爵家の娘ミリアは集団から少し離れ、壁際に移動した。
「あ、あの、今日は前髪を上げてらっしゃるのですね。いつもとイメージが違うので驚きました。」
まだ少女といった感がぬぐえない若い娘は、緊張しながらも、ダブルディーに話しかけた。
「陛下のご命令でして。宴の席では身だしなみに気を遣えと。私は他国の田舎者ですから、そういったことに疎いので、こういった席は
遠慮していたのですが・・・。」
貴女のせいで、という言葉はこぼれる前に飲み込んだ。
代わりに共通の話題へ話を変える。
「お姉さまのお加減はいかがですか?」
以前診察したのはこの娘の姉ということだった。
「はい!おかげさまで、回復しました!姉は!本当に、ありがとうございます!今ではもう嫁ぎまして、良家に、二人もいるんですよ!子供が!」
まるで言葉が不自由な外国人かのように言語が怪しくなりながらも、娘は法医と話しているということに喜びとを感じているようで、
終始興奮した様子だった。
「そうですか、それはよかった。では、私はこの辺で。失礼。」
そういうと、王との約束通り、本当に二言三言交わすだけでダブルディーは宴を後にした。
気疲れのする一日だった。