第3話
雨が降っていた。
ダブルディーは王の命で、単身ひっそりと仕事を終えて城へ戻っているところであった。
屋敷を出た時はまだ小降りで、目立つマネは慎むよう言われていた為徒歩で帰城していたのだが、とうとう本格的に降り出した。
目についた近くの軒先に避難し、やれやれ、とため息をついてしばしここで雨宿りをすることにした。
すると急に扉が開き、見知った顔がこちらを覗き込んだ。
「おお!やっぱりドクターだった!そこの窓から白衣が見えたんだ!もしかしてと思ったら当たりだったな!よければ一緒に飲まない
か?俺の仲間もいるし!」
人懐っこい笑みを浮かべてそう言ったのは、たしか王の兵の若手の中ではなかなかの活躍をしていると評判の…
「…ダウェイ殿、私は雨宿りをしているだけなので、お構いなく。お仲間とお楽しみください。」
「殿ときたか!はっは~!まいったね!そんな堅苦しいのはなしなし!俺たちゃ同じ年くらいだろ?さ、入った入った!」
「いや、本当に、雨が止んだら帰りますから。」
「この調子じゃ今日は止まねぇよ、一杯飲んだら馬車呼んでやるから!な?それにこんなとこに突っ立ってられちゃ、営業妨害も
いいとこだぜ?」
押し問答を続けても、すでに酒が入っている軍人には敵いそうもなかったので、ダブルディーは諦めて誘われることにした。
「…では、一杯だけ。」
がやがやと騒がしい店内は賑わっていて、白衣の男が軍人に連れられて入店したことに気付く者は少なかった。
この国で常に畏怖の対象として衆目にさらされてきた法医にとって、群衆に紛れ込んで注視されずにいられる空間は悪くなかった。
「おーい!ドクター捕まえてきたぜー!」
「まじか!ダウェイやるな!」
「いいんですか?ドクターが酒なんて飲んで!」
喧騒にまぎれてダウェイはダブルディーを紹介し、彼の仲間は法医を陽気な笑顔で迎え入れた。
「今日はもう仕事はありませんから、一杯くらいなら問題ありませんよ。」
ダブルディーは笑顔こそないものの、普段の棘のある物言いはしなかった。
ふと目を止めた窓には、ダウェイの言った通り止むどころか強さを増した雨が映っていた。
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雨が降っていた。
冷たくなってもう動かないそれを手放せないまま、放心状態でダブルディーは地べた座り込んでいた。
「ハウリー、ロッテの所に…行かないと…」
誰にともなくつぶやく彼の背後には、雨の音に混じって騎兵の乗った馬の蹄の音が迫っていた。
戦に負けた国の生き残りを探しているのだ。
ああ、近づいてくる。
首をはねられるのか、心臓を貫かれるのか、はたまた残虐な王の前に引きずり出されて切り刻まれるのか。
どこか冴えた頭で自身の悲惨な未来を思い描くものの、身動き一つとれない。
自分は間違っていたのだ。
だが、それならどうすれば良かったのか。
今でも何度思い返しても、答えなど出なかった。
ただ雨が、降り続くだけだった。
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「ドクター!おーい!ドクターディナリーテガルト様!…ダブルディー!!」
はっとして顔を上げると、ダウェイを始めとした3人に思いきり顔を覗き込まれていた。
「ほんとにダブルディーって呼ばれてるんだなぁ!大丈夫か?急にぼんやりして酔いが回ったのかと思ったら、ダブルディー
って呼ばれるまで無反応、だぜ?」
「しっかしドクターはすげぇよなぁ!俺たちとそんな年も変わらねぇのに、国王陛下のお気に入りだもんなぁ!」
「なぁ、ドクターは凄腕の法医ってもっぱらの評判だけどよ、死人をも甦らすって噂は本当か?」
酒にのまれたわけではなかったが、少しばかり酔ったことにさせてもらい、珍しく軽口をたたくことにした。
「そんな大層なものではありませんよ。まぁ、陛下の命とあらば死人の一人や二人、甦らせてみせましょう。」
表情を崩すことなく、しれっと放った言葉によほど効果があったのか、三人はつばを飲み込んで黙り込んだ。
そんな馬鹿なこと、あるわけがないのに。
「冗談ですよ。一度失った命が戻ることはありません。」
そう言ってダブルディーがエールを煽ると、男たちは思わず止めていた息を吐き出した。
「な、なーんだよ!びびらせんなよー!」
「ドクターが言うとシャレにきこえねぇよ!」
「ブラックジョークにもほどがあるだろ!」
男たちは陛下のお気に入りで誰ともつるむこともなく寡黙で近寄りがたい存在だと思っていた法医が、自分たちに冗談を
言ったことで一気に親近感が湧き、宴は大いに盛り上がった。
若い軍人達の陽気な様に、ダブルディーもまた、久方ぶりに気を許していった。
「しかし陛下のドクターへのご執心は凄まじい。うわさに聞いたんだが、陛下はドクターを貴族の娘と結婚させて家庭を
持たせたいらしいぜ。」
「へー!貴族!まぁドクターは貴族の娘達にも人気だしなぁ!」
「俺も聞いたことあるー!どうなんだよ、ドクター?気になる娘の一人や二人くらいいるんですかい?ていうかもう何人か
いただいちゃってる?」
下卑た話も酒の上の男同士の物であれば、好ましくはなくとも冷めるほどではない。
「まさか。私がこの国の貴族のご令嬢とどうこうだなんて、ありえませんよ。私など身分もない、異国出身のとるに足らない身ですから。」
そう答えると、中でも年若い軍人の両目が弧を描き、にんまりと悪だくみを話すように笑いながら言った。
「ドクターは人妻好きらしいからなー!」
「は?」
あまりに突拍子もない言葉に、法医にしては珍しく間抜けな声が出てしまった。
それを狼狽したと受け取った若者は畳み掛けた。
「聞いたぜー!サミール侯爵夫人に迫ったって。娘を助けて欲しければ私に抱かれますか?だってー!?」
ぎゃははははーっと最後は笑いが止まらないといった様子で机を叩いて暴れている。
どこかで聞いた、というか言ったセリフに慌てながらも、ダブルディーは悪態をつく。
「本当に、この国にはプライバシーってものがないんですかね。」
やれやれ、とため息をついたものの、それを肯定ととった若い軍人たちはその後も法医を囲んで楽しい夜を過ごした。
法医の力の源が、徐々に揺らぎ始めていた。