第10話
法医はパン、と小気味よい音を立てて襟を引き正し、コンコン、と豪奢な扉をノックした。
「誰だ?」
「遅くにすみません、ディナリーテガルトにございます。」
「うん?よい、入れ。」
王は呼んでもいないのに現れた法医に訝しみながらも、自室へ招き入れた。
「どうした?珍しいな、お前から訪ねてくるとは・・・?」
王は法医の手にしていた物に目を向けた。
「陛下、たまには私と遊んでいただけませんか?」
法医は手にしていた2本のサーベルのうちの1本を王に差し出し、自身は残りの1本をゆっくりと鞘から引き抜いた。
妖艶とさえ言えるその緩慢な動きに王の興は高まった。
「おお、ダブルディーよ、お前とこんな遊びができるとは」
重厚なドアの中から漏れ聞こえるのは荒い息遣いと何かが切り裂け吹き出す音。
中にいるのが誰か知らない者が聞けば、それはまるで睦みあっているかのようでもあった。
否、それが誰であるかわかったところで、とうとう好色な王が美しい法医に手を出したと思われたかもしれない。
血に塗れ、高揚した王は法医の脇腹にサーベルを流し引き、その色を愛でた。
「・・・は!」
法医は痛みにあえぎ、咳き込んだ。
口元から滴る紅に王はまた興奮した。
まずい、このままでは自分が先にやられてしまう。
そろそろケリを付けなければ。
「陛下・・・。」
法医は甘えるように王にしなだれかかり、その左胸にサーベルを差し入れた。
「ぐ、ゲホゲホゲホ・・・!」
王もこれにはたまらず咳き込み吐血し、白旗を挙げた。
「ダ、ダブルディーよ、今宵はそろそろ仕舞いにするとしよう。さあ、わしを癒せ。」
「申し訳ございません、陛下。それはもうできないのです。」
「な、何!?」
返ってきたのは、これまで従順であった法医の思いもよらない言葉であった。
「陛下、私はあなたに拾われてからこれまで貴方を殺したいと思うことで、力を発動させてきました。元からこうだったのではないので、
なぜこのように力が働くのか私にもわかりません。初めは半信半疑でした。しかし、あの時からこの力の源は貴方だった。
そう確信してからは全てを失った私にとって貴方を憎むことは、故郷を想い己の罪を忘れていない事を確認できる安心材料だったのです。
貴方を憎むことで、私は今日まで生きることができた。そうでなければとうに自ら命を絶っていたかもしれない。
そして先日私は見つけてしまった。まだ私に守るべきものがいたことを。王よ、すべてあなたのおかげです。私はもうあなたに親愛の情すら
抱いているのです。ですから、もう、私には貴方を癒すことはできないのです。」
法医は初めて王に笑んで見せた。
その壮絶な笑みに、王は激昂し、サーベルを振り上げ最期の力を込めて法医の肩に振り下ろした。
「お・・・おのれぇえええええ!」
どんっ!と凄まじい衝撃が左肩に襲い掛かり、法医はそのまま王ともつれるように倒れこんだ。
全身の傷、特に左肩が燃えるように熱かったが、その熱はすぐに通り過ぎ、寒気が襲い掛かってきた。
「シャルロッテ、もう一度、君に・・・」
会いたかった。
死にたくなかった。
そう思ってしまったから、法医の力は働かなかった。
これまで自身の傷が瞬時に癒えていたのは、王と同じ、否、それ以上に自身を殺したいほど憎んでいたから発動していたのだった。
目が覚めると見慣れた天井が視界に入ってきた。
夢を見ていたのだろうか。
シャルロッテと再会し、王を倒すというおとぎ話のような甘い夢。
しかし体を起こそうとしたところで、左肩を激痛が襲い、これが夢ではないことを知らせていた。
法医は起き上がることを諦め、視線をさまよわせると、ドアの方からコンコン、と小さなノックの音がして、誰か入ってきた。
「アディ!目が覚めたのね!」
シャルロッテだ。
シャルロッテは水を張ったたらいを法医のベッドの傍らに置き、いつの間にか額に乗せられいた濡れタオルを冷たい水で洗い、再び法医の
額に乗せてやった。
「具合はどう?」
「ロッテ、どうして君がここに?私は・・・」
かみ合わない会話に、シャルロッテは微笑んで応えてやった。
「あの後、貴方の様子おかしかったから、何かしでかすんじゃないかと思って、城に潜入していた密偵と連絡を取って、貴方を見張ってもらったの。
私たち、これでも王の首を取る算段を進めていたのよ?なのに、貴方ときたら、たった一人で王の部屋に乗り込んでいって、あっさり王を倒したと
言うじゃない。まったく、私たちのこれまでの準備はなんだったの?」
シャルロッテは法医におどけて見せた。
「あなたが王を倒したと連絡が入ってからすぐに私たちは城に攻め入ったわ。これまですべてワンマンプレーで執り行われてきた王のいない城
は驚くほどあっけなく落ちた。今はこの城は反乱軍の拠点になってる。重症のあなたをどこで治療するか迷ったんだけど、城に潜入していた
仲間が、貴方の部屋を教えてくれたから、ここにあなたをかくまうことにしたの。だから安心して、今は傷を治すことに専念して。」
シャルロッテは優しく微笑んで、法医の前髪を梳いた。
もしかしたら、この力が自身の意に反して発動するようになったのは、あの王を倒すために神が起こした奇跡だったのかもしれない。
この力なければ、あの王を油断させ、倒すことなどできなかったのだから。
レナーリアの神は国と引き換えに、法医に敵国の王を倒す力をあたえたのか。
何とも皮肉なことだ。
しかし、おかげで大切な人に再び出会えた。
「そうか・・・。よかった・・・。シャルロッテ、君は、私が、守るよ・・・。」
法医はそれだけ応えると、透き通るような紅い目を閉じて、小さく寝息をたて始めた。
「もう十分よ。」
シャルロッテはそう言って、一枚のカードを彼の傍らに置いて部屋を出て行った。
彼女を模った、今は亡き国の春の女神のカード。